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ガブリエル・シャネルの生い立ち

孤児だった少女時代
ガブリエル・シャネルは1883年フランスのオーベルニュ地方のソミュールに生まれました。幼くして母を亡くし、行商人であった父に捨てられ一家は離散します。姉と共にオーベルニュの孤児院に預けられました。 決して幸せではない幼少時代でしたが、孤児院と修道院での質素な暮らしの中でシャネルは裁縫を学びます。修道院を出た後は仕立て屋で衣服を直すお針子の仕事に就きますが、歌手を目指して18歳の時にキャバレーで働き始めます。しかし、歌手としてのオーディションは貧しかった生い立ちが原因で落選が続き、歌手の夢は早々に諦めてしまいました。資産家バルサンの愛人に
ガブリエル・シャネルはキャバレーで働いていた時に知り合った、資産家エティエンヌ・バルサンの愛人として何不自由のない生活を始めます。 裁縫の技術を活かしてバルサン邸で退屈しのぎで製作した帽子のデザインが認められ、1910年実業家アーサー・カペル出資のもと、シャネルの1号店をパリのカンボン通りにオープンさせました。 アーサー・カペルはシャネルが生涯で唯一愛した恋人であり、仕事の上でもシャネルの才能を信じて支えたパートナーでした。シャネル開業

第二次世界大戦
成功は長くは続かず、1939年に第二次世界大戦が始まると一気に不況におちいり、労働者のストライキにより経営は悪化。シャネルブティックは、カンボン通りの5つのブティックのうち、31番地にあった本店を除いて全て閉鎖に追い込まれます。 ガブリエル・シャネルはパリを占領していたドイツ軍の幹部ヴァルター・シェレンベルクと愛人関係となり、その後ドイツ軍が降伏してフランスが解放されると、フランス国民から避難を受けます。 ガブリエル・シャネルはパリを去ることを余儀なくされ、スイスに亡命します。再びファッションの世界に戻ったシャネル
15年間のスイスでの空白の亡命生活を経て、ガブリエル・シャネルは再びパリに戻ります。 ガブリエル・シャネルがファッションの世界にカムバックしたきっかけとなったのは、1947年に発表されたクリスチャン・ディオールの「ニュールック」を見て、かつて自身が古いとしたスタイルが再流行していることに憤慨したからだそうです。 ウエストを絞ったバージャケット、丸みのあるロング丈のスタイルは「8ライン」と呼ばれ、エレガントで贅沢な女性らしい貴族の為のスタイルでした。 自由を奪い束縛してきたスタイルから女性を解放したガブリエル・シャネルからすると、男性デザイナーであるクリスチャン・ディオールが生み出した流行は彼女が過去に葬ったスタイルで、古くて屈辱的なものでした。 1954年にガブリエル・シャネルはコレクションを発表します。従来のツイードジャケットに改良を加えたノーカラーのボックス型のジャケットに、CCロゴの金ボタン。タイトなシルエットの膝丈スカートが特徴的な「シャネルスーツ」は機能的で動きやすく、女性の仕事着として戦後のアメリカで大流行しました。 1955年には伝説のバッグとなるチェーンショルダーバッグ「2.55」を発表。耐久性に優れた実用的なこのバッグは瞬く間に大人気となり、女性の必需品となりました。 戦後のフランスで一時期は過去のものとされたガブリエル・シャネルのスタイルでしたが、戦後の女性進出を味方につけて見事にカムバックを果たし、以後亡くなるまでの16年に渡りファッションに大きな影響を与え、ファッション界のトップに君臨し続けました。ガブリエル・シャネルの功績
20世紀の女性のファッションを変えるのに多大な影響を与えたガブリエル・シャネル。彼女の功績を具体的にご紹介します。コルセットからの開放
1920年代、流行していたファッションはコルセットでウエストを締め付けてより細く見せ、貴婦人のようなドレスに華美な装飾で飾る華やかなスタイルが主流でした。 動きにくくて窮屈なスタイルに嫌気がさしていたガブリエル・シャネルは男性用の下着素材であったジャージー素材の服を考案しました。 当時の常識を覆すこの新しい発想は、人々を驚かせましたが、シルクやサテンなどの高級素材が戦争の為手に入りにく区なり、安価で大量に手に入れることができるジャージー素材の洋服は女性達に受け入れられるようになりました。ショルダーバッグ

パンツスタイル
第一次世界大戦を背景に女性の社会進出が進むと、工場などで働く女性が増えました。パンツスタイルは男性のものとされていましたが、作業着として男性物のパンツを履く女性も現れました。 そんな時代背景から、ガブリエル・シャネルはファッションとしてのパンツスタイルを提案。多くの女性に受け入れられ広まりました。シャネルスーツ
「シャネルスーツ」は1923年にパリで行われたコレクションで発表され、当時のファッションと違って動きやすく機能的なデザインが話題となり注目されました。「シャネルスーツ」は男性のスーツから着想を得て女性ものとしてデザインされました。 第二次世界大戦後の1954年にガブリエル・シャネルがパリに戻り再びコレクションを発表。従来の「シャネルスーツ」に改良を加えて発表したものの、パリのジャーナリスト達から酷評されてしまいます。しかし、時代に即して進化した「シャネルスーツ」はアメリカで大流行します。 ノーカラーのボックス型のウールジャケットに金色のCCマーク入りのロゴボタン。タイトなシルエットの膝丈スカートはエレガントでありながらも機能的で動きやすく活動的な女性の為の社交の場で着るスーツでした。戦後、女性の社会進出を象徴するスタイルとして、オードリー・ヘップバーンやジャクリーン・ケネディ、グレース・ケリーといった著名人がこぞって「シャネルスーツ」を愛用しました。 「シャネルスーツ」はカール・ラガーフェルド、ヴィルジニー・ヴィアールによって再解釈され改良を加えられ今日でも愛され続けています。コスチュームジュエリー

フレグランス

バイカラーパンプス
