イサム・ノグチ/Isamu Noguchi

目次

イサム・ノグチのアートスタイル

イサム・ノグチは特定の芸術運動には加わらず多岐にわたる創作活動を続けた。

(ただしグループとしては「ビオモーフィズム 自然界の生命力にフォーカスした有機的な表現)」とみなされている)

イサム・ノグチの主な創作活動には、彫刻、墨絵、庭園デザイン、ランドスケープデザイン、家具と照明のデザイン、陶器、建築、舞台デザインがある。

イサム・ノグチ作品の特徴と魅力・評価ポイント

「momotaro」ニューヨークのマウンテンビルにある野外博物館ストーム・キング・アート・センター

特徴と魅力 

イサム・ノグチというアーティストやその作品の特徴と魅力をひもといてみました。

スケールの大きな作品に流れる「癒し」

札幌市「モエレ沼公園」

札幌市中心部から車で30分ほどの場所にある「モエレ沼公園」

札幌全体を草木の緑の帯(=グリーンベルト)で包み込むという「環状グリーンベルト構想」の拠点公園ですが、基本設計を手掛けたのが20世紀有数のアーティストであるイサム・ノグチです。

彫刻家として、また家具やインテリアデザインなど多彩な活動で知られる「イサム・ノグチ(本名 野口勇)」は、突然の病に倒れこの世を去るまで完成を楽しみにしていました。

 

「(モエレ沼公園)全体をひとつの彫刻作品とする」

「人間が傷つけた土地をアートで再生する。それは僕の仕事」

 

と語ったイサム・ノグチの言葉は、すべて彼が遺した作品全体に共通するものです。

 

傷ついた心を癒すようなやさしい光をたたえた照明「AKARI」

インテリアを選ばず空間になじむ家具「コーヒーテーブル」「ソファ」

そして静けさの中に力強さと生命力を感じさせる彫刻作品

 

イサム・ノグチは自らの作品によって、傷ついた人々そして世界を再生することをのぞんでいました。

恋と苦悩…ドラマに満ちた人生

その境地に至るまでの彼の人生そのものを知ると、よりそのことが伝わってきます。

ドラマに満ちたイサム・ノグチの人生は、彼に関する数々の著書、そして2010年に公開された映画「レオニー」に描かれています。

 

日本人の父とアメリカ人の母の私生児として生まれたこと。

父親と暮らした時期はほんのわずか、そして母親とも離れて暮らさなければならなかった少年時代。

戦争によって、二つの祖国から拒絶され、収容所生活も経験した過酷な過去。

心の隙間をうめるかのように、李香蘭、フリーダカーロそのほか多くの女性たちとの恋愛遍歴。

 

ふたつの祖国、父親と母親、そのはざまでイサム・ノグチの心は深く大きな傷を負います。

しかし振り子のような自分の境遇を俯瞰しながら、どちらをも愛することを選択したとき、傷ついた自分を再生することに成功したのでしょう。

そして自分の手で作り出すもので、人や自然を癒し再生してゆく、そんな決意が遺された作品から伝わってきます。

評価ポイント

イサム・ノグチによる家具などのインテリア作品や彫刻は、今なお古臭さを感じさせず人々の心をとらえています。

第二次世界多選前のベル・エポック、そして大戦後のモダンアート最盛期のニューヨークやパリでアーティスト人生を歩んできました。

時代が発散する芸術のエッセンスをセンス良く消化したアーティストの一人です。

 

主に活躍したフィールドは彫刻、庭園などの公共アート、が、家具や照明などのプロダクトデザインです。

医学生という異色の過去を持ちながら、デビューから短期間で大きな評価を得ることに成功しています。

 

イサム・ノグチについてよくいわれるのが「日本人とアメリカ人の私生児」「第二次世界大戦時の日系アメリカ人」というアイデンティティの不安定さです。

しかし、逆にそれが大きな武器となりました。

日本とアメリカの二つの祖国を持つことで、両方の文化を作品に取り入れ昇華させることに成功したのです。

アメリカのニューヨークの摩天楼、先史アメリカの古代文明「マヤ」「オルメカ」。

そして日本の庭石や陶磁器、そして竹や紙細工。

これらはすべて照明「AKARI」、クリスティーズで500万ドル近くの高値で落札された「Olmec&Muse」の源泉となりました。

 

様々な辛酸をなめながらも自分のルーツを最大限に生かし、二つの祖国の伝統を取り入れた作品を多く残しました。

どの作品からもイサム・ノグチの芸術家としての底力が伝わってきます。

イサム・ノグチのプロフィール

ロックフェラーセンターAPプレスビルエントランスのイサム・ノグチ作巨大レリーフ。1940年当時世界最大のステンレス鋼鋳造物だった

「私生児・そして日系アメリカ人として誕生」幼少期

1904年アメリカのロサンゼルスでアメリカ人の母「レオニー・ギルモア」の私生児として生まれる。

1907年母とともに来日。父親である「野口米次郎」と同居するも短期間で解消。再度渡米するまで母親と妹アイレス(1912年誕生。後にダンサーtなる)と茅ケ崎で暮らす。

1918年単身渡米。同時にイサム・ギルモアに改名。転校先が閉鎖するなど波乱万丈だが高校をトップで卒業。

「医学の道からアーティストに転向」青年期・学生時代

1923年NYコロンビア大学医学部に入学。1920年に日本から帰国していた母レオニーとの同居スタート。

母の強いすすめによって「レオナルド・ダ ・ヴィンチ・スクール」の彫刻クラスに参加。

作品が高い評価を受けたこと、オノリオ・ルオットロ校長からの後押しもあって彫刻家として生きることを決意。

同時に本名を「イサム・ノグチ」に戻す。

「恋と創作に打ち込んだ」創作初期

1927年グッゲンハイム奨学金を得てパリ留学。彫刻家「コンスタンティン・ブランクーシ」のもとで抽象彫刻を学ぶ。

帰国後はアジア、メキシコ、ヨーロッパを旅行し、最後に日本に寄港し父親と再会を果たす。

中国・北京には8ヶ月滞在し水墨画や書を学び、100点以上もの作品群「北京ドローイング」を残した。

またこのころ舞台芸術を多くこなす。

1935年からモダンダンスの巨匠「マーサグラハム(グレアム)」はじめ「マース・カニンガム」「ジョージ・バランシン」などコラボレーションした振付家多数。

「家具デザインで名を馳せ日米で活躍した」創作中期

1938年ロックフェラーセンターのAPプレスビルから依頼されたエントランス彫刻を完成(ビル竣工は1940年)。この作品によって一躍注目を浴びることになる。

第二次世界大戦勃発後は、政治活動に目覚め日系アメリカ人のコミュニティを作ろうとアリゾナ州の強制収容所に自発的に入所。

しかし試みはうまくゆかず、7カ月後退所。

その後はグリニッジビレッジにスタジオを開き創作活動に打ち込む。

1947年からチャールズ・イームズと照明や家具などのプロダクトデザインを手掛ける。現在も「ノグチ・テーブル」「サイクロンテーブル」はじめ多くのデザインが制作されている。

1950年日本・銀座三越で個展開催

1951年岐阜提灯をモチーフにした照明「あかり (Akari)」創作スタート。慶応大学三田キャンパスの庭園を設計、作品「無」が残されている。

私生活では女優「李香蘭(山口淑子)」と結婚。

両親不在という共通する少年期を持つ北大路魯山人と親交を深め、陶芸を教わる。専用アトリエも敷地内に用意されていた。

1955年李香蘭と離婚。

1961年アメリカへ帰国。彫刻よりも公園などの公共環境デザインを精力的にこなす。

1969年香川県牟礼町にアトリエ設立。以降日本とアメリカを行き来しながら双方で創作活動を展開。

「20世紀の巨匠として多くの名誉に輝いた」創作後期・現在

1980年ホイットニー美術館(ニューヨーク市マンハッタン)50周年記念イサム・ノグチ展開催。

1985年ニューヨークのロングアイランドシティに「イサムノグチガーデンミュージアム」がオープン。

1987年アメリカ国民芸術勲章を受勲

1988年勲三等瑞宝章を受勲、心不全によりニューヨークで死亡。

イサム・ノグチの代表作

彫刻

「Red Cube」

NYのブロードウェイ「BROWN BROTHERS HARRIMAN」ビルの前にある赤のキューブ上の巨大オブジェ。

「AP通信社のレリーフ」

NYのロックフェラーセンターのAP通信社の正面玄関上部に掲げられたレリーフ。

AP通信社の記者が5人描かれている。

1938年に行われたコンペで選ばれた。

絵画

「北京ドローイング」

イサム・ノグチのアーティスト人生の出発点。1930年の北京旅行で出会った人々を描いた墨画。

2018年「イサム・ノグチ 彫刻から身体・庭へ  東京オペラシティ アートギャラリー」にて日本初公開。

陶器

「かぶと」

北大路魯山人が提供した古民家(山口淑子(李香蘭)と新婚生活を送った)時代の作品。

日本の伝統を題材としたテラコッタ(陶彫)を多く制作した。

石・造形

「空間のうねり」

1969年から居を構えた香川の地では作家「和泉正敏」と石を素材とした作品を共同制作。

こちらも石の直彫りによるもの。

イサム・ノグチの市場価格・オークション落札情報

アーティスト人生で最初に認められたのは頭部彫刻だった

「Olmec&Muse」 4,981,250米ドル

玄武岩と花崗岩の彫刻 高さ135.9cm

2017年11月15日  クリスティーズ/ニューヨーク

※「オルメカ Olmec」とはアメリカ大陸最古の古代文明。「母なる文明」と呼ばれる。紀元前1200年頃から紀元前後にかけて存在したと考えられている。

https://www.christies.com/lotfinder/sculptures-statues-figures/isamu-noguchi-olmec-muse-6110612-details.aspx?from=searchresults&intObjectID=6110612

「Garden Elements」4,727,500米ドル

花崗岩の彫刻 高さ259cm

2017年5月17日  クリスティーズ/ニューヨーク

https://www.christies.com/lotfinder/sculptures-statues-figures/isamu-noguchi-garden-elements-6076467-details.aspx?from=searchresults&intObjectID=6076467

「ウンディーネ(NADJA)」4,226,500米ドル

1927年製作の銅像。高さ195 cm

2010年5月5日  サザビーズ/ニューヨーク

※「ウンディーネ」とは水を司る精霊。女性の姿をしており、人間戸の悲恋伝説多数。

https://www.sothebys.com/en/auctions/ecatalogue/2010/impressionist-modern-art-evening-sale-n08633/lot.4.html?locale=ja

「アバター」 3,554,500米ドル

ブロンズ作品。高さ198.1cm

2010年11月9日   サザビーズ/ニューヨーク

https://www.sothebys.com/en/auctions/ecatalogue/2010/contemporary-art-evening-auction-n08678/lot.40.html?locale=ja

イサム・ノグチの作品と出会える場所

「Intetra」フロリダ・ウエストパームビーチ

原美術館(東京)

「PYLON」 ※美術館内庭園

滋賀県立近代美術館

「幼年時代」

イサム・ノグチ庭園美術館(香川県高松市)

1969年からNYと高松を行き来した。

生前暮らしたアトリエと住居、150点あまりの彫刻作品が見られる。

モエレ沼公園(北海道札幌市)

基本設計はイサム・ノグチ。

また公園内の遊具126基(ブランコ、すべり台、ジャングルジムなど)のデザインも手掛けた。

こどもの国(神奈川県横浜市)

イサム・ノグチ作品群として「丸山」「エントランス通路」「オクテトラ」が見られる。

平和大橋(広島県広島市)

広島平和記念公園へつながる橋。欄干のデザインをイサム・ノグチが担当した。

イサム・ノグチの最新トピックなど

ジョージア州アトランタピードモント公園

現在も多くのファンを持つ、イサム・ノグチによる照明やソファなどのプロダクトデザイン。

そして「モエレ沼公園」や広島の「平和大橋」などのパブリックスペース。

若い世代にとっても、イサム・ノグチのアートは今なおあこがれであり心を惹きつける存在です。

 

また国内外の多くのミュージアムでは、イサム・ノグチをテーマにした展示会が定期的に開催されています。

2020年にも東京の上野公園内にある「東京都美術館」「イサム・ノグチ 発見の道 (2020年10月3日(土)~12月28日(月)」が開催されます。

 

生まれながらに背負ってきた苦難を乗り越え偉大なアーティストとして大成し、さらには「地球を彫刻する」意志をもってミュージアムという閉じられた空間から公共の場に創作の場を広げたイサム・ノグチ。

死後30年以上の時を経てなお、イサム・ノグチの作品を愛する人は増え続けることでしょう。