学校教育制度のあり方の提言|温暖化防止「飛び恥」から考える自由の在り方について

政治の失敗を温暖化のせいにする愚行

正直にいえば、今の若い人の日本語読解能力には耳を疑うばかりと言っても過言ではないと考えています。

先日、ノーベル平和賞受賞候補のスウェーデンの16歳の少女グレタ・トゥーンベリさんが「飛び恥(温暖化対策で飛行機に乗らない運動)」なる造語を開発しましたが、「本気でそんなことが正しいと思っているのか?」というのが私の感想です。彼女に賛同する人たちはほとんど読解能力がないと断じます。

地球の温暖化は確かに大きな問題ではあるが…

確かに、地球上の二酸化炭素排出の問題は喫緊の課題のように思います。

今年のような暖冬を前にして、これは二酸化炭素の増大が原因だという議論が巻き起こるのは、致し方ないことでしょう。

日本赤十字を筆頭にさまざまな慈善団体が二酸化炭素排出、世界温暖化の影響に伴い困っている人たちへの寄付を募っていますが、正直辟易します。

理由は明快で、そもそも本当にこの人たちは地球温暖化問題で生活困難に陥っているのだろうかということです。

これは推測ですが、政治の所得再配分の機能が間違っているから、このような生活困難者が世の中にあふれかえっているのでしょう。

つまり、政治の失敗を地球温暖化にすり替えているだけであって、地球温暖化といえば何でも解決するという安直な考えにどうしてなるのか不思議でなりません。

飛び恥?

1991年8月、崩壊を前にしたソ連の首都モスクワ

グレタさんの言っていることは確かに立派ですが、実際に飛び恥という言葉に代表される飛行機がなくなって困るのは、そういう主張を強硬にしている人たちなのに、なぜ気づかないのであろうと思います。

かなり飛躍しますが、人類の行動の自由がこの世界をより豊かに、そして平和にしている原因です。

かつて共産主義の人たちには、行動や言論の自由はありませんでした。

ところがソ連崩壊とともに、人々に行動の自由、移動の自由が保証されたことによって、これだけ世界が発展したとなぜ考えられないのでしょう。

ソ連が崩壊したときには、まだ携帯電話などありませんでした。

それと現在を比較すれば、この30年はものすごい発展を遂げてきたのです。

このグレタさんという少女の言い分には多少の理はあると思いますが、発展をかなぐり捨ててまで飛行機に乗るなと言っていることを考えれば、「正気?」と思うのが普通です。

それを彼女に賛同して「私もあなたも、飛行機に乗ってはいけない」、そして「政治家は何もやっていない」なんて平気で言うこと自体が言語能力、考える能力の低下の証拠と言えます。

自由の価値を否定するグレタ

自由こそが未来を豊かにする源泉

成長したい、そしてもっと豊かになりたいという私たちの欲望の源泉をグレタさんは断てと言っています。

行動、移動の自由がどれだけ世界の発展に寄与しているかが理解できていないのです。

自由に行動することが私たちの成長、発展の源泉なのに「それをやめなさい」と主張することが短絡的な人間ほどダマされやすいのです。

絶対に自由というものは保証しないといけない、規制を加えるのはバカバカしいことだと思わなければいけません。

そもそも、飛行機や我々の生活が二酸化炭素増大の原因と勘違いしている人が多数いますが、その因果関係は証明さえもされていません。

だからといって、無造作に二酸化炭素を排出していいなんて話にもなりませんが。

日本人はもっと考えなければいけない

二酸化炭素削減の一環としてアイドリングストップを呼びかける看板

日本は、ここ何年もちっとも成長していないのに、二酸化炭素の排出だけは3倍近くになっています。

アメリカや中国の排出量は5〜10倍に増えていますが、その分成長という果実を得ているのです。

成長もしないのに排出だけをしている日本は、本当に異常です。

先日の国際会議にて、小泉環境大臣が日本は石炭火力の排出を減らして発電を行うと言ったことが議論になりましたが、これは彼が世界情勢を知らないから平気で言えるのです。

二酸化炭素を多く排出している国は、テロ国家認定を受けてもおかしくないという状勢が欧米の主流の考え方になります。

日本は成長もしていないくせして排出だけはしている、これが世界の受け止め方です。

もちろん、成長していたら二酸化炭素を排出してもいいのということにはなりませんが。

不憫なグレタ

グレタに先導せれる若者を「グレタ症候群」と呼んで批判を浴びたボレルEU外相

政治家は、成長と環境悪化をてんびんにかけてさまざまな規制をかけて、必死に努力しています。

その懸命な努力の最中に、子どもがえらそうな口調で説教を始めたら、誰でも快く思わないのが当然です。

世の中のことを何も知らない子どもが、さも知っているかのように説教してだまされる大人が悪いのです。

むしろ、彼女の今後の人生のほうが心配です。

何をこの子は勘違いしているのだろうか、大人になるにつれて、自分がいかに愚かなことを言っているかに気づき始めたら、自分のやったことに耐えられるのかなと心配になります。

17歳の少女に不幸を背負い込ませるようなことは絶対に止めるべきで、高校生なら高校生らしく、自分らしく生きる道を選ばせるべきです。

高校生だもの間違いがあって当たり前、そして間違いに気づいたらすぐさま軌道修正ができる道にしてやらないと可哀そうです。

今の彼女はスターですから、取り巻きがたくさんいる以上軌道修正などできないでしょう。

ものすごい不幸を背負い込んでいると思います。

同じことしか言わない若者たち

それぞれ個性的に見えたとしても、話してみると結局は皆同じようなことしか言わない日本の若者たち

今の学校教育に満足している親御さんなどいるのでしょうか?

世の中、ダイバーシティ、多様性とか言われていますが、今の学校教育に多様性など求めても仕方がありません。

理由は高校生くらいの若い子、そうでもない20代、30代の子と話をしていても、同じような価値観で同じようなことしか言いません。

少しでも世間や同世代と違うことなど、ほとんどの若い人は言いません。

多様性と学校教育

画一教育がさまざまな問題を生む?

いくら文部省が「これからは多様性が大事だ」なんて叫んでも、実際の学校の教育現場では、かつてのように工場労働者を育てるように校則という規律によって生徒、学生を一律な人間に育て上げようとしています。

そして、カリキュラムは文部省によって統一され、授業の内容はすべて国によって管理されています。

これでは多様性のある人間が排除されるに決まっているではありませんか?

20歳にも満たないような子どもがそういう雰囲気がある同世代の中で、一人だけおかしなことを言えば、排除される傾向があるに決まっています。

なぜなら、校則によって異分子を排除する教育が現場では行われているのに、教育委員会や文部省は見て見ぬふりをしているだけです。

言っていることとやっていることが全く違うことの典型になります。

こういう建前と本音を使い分けている教育に対して、文句を言うことは子どもには困難です。

なぜなら、経験が足りないので建前と本音の区別がつかず、文部省が「多様性が大事」といいながらも現場では一律性を求めていること、これが大人の社会なんだなと学習するだけです。

それがおかしいと言えるほど経験も学習もしていないのだから、言えるわけがありません。

教師の有り様

生徒や保護者をしっかり見ている教師はどれくらいいるか?

そこで活躍するのが教師のはずですが、雇われているのは国の発行する教育免許と、学校を運営する文部省と地方自治体の言いなりです。

要するに、会社でいえば上司が国や地方自治体なのですから、社長が白と言えば、それがたとえ黒であろうと白と言う教師たちに何を期待するのでしょうか?

教師にとって学校の校長は上司であり、絶対に逆らってはいけない存在です。

生徒や保護者というお客よりも校長という上司が大事というのは、一般のサラリーマンと変わりません。

つまり、お客に偽りを言いながら、本当にサービスをしたいのは上司になるということです。

一般の会社では、利益を上げ続けなければ会社は存続できないのですが、学校はしょせん何をやっても赤字ですから、上司に媚びへつらう必要はないのに、実際の現場では校長や上司に媚びへつらう教師ばかりというのは誰でも推測がつくでしょう。

中国の発展に見る選択の自由

2019年、中国の町中に掲げられた改革開放40周年を祝う幕

なぜ、社会主義や共産主義が世の中から駆逐されたのか非常に明快です。

自由がなかったからです。

人間は、誰にでも選択する自由があります。

すなわち、行動や言論の自由が私たちの未来が明るくさせている源泉なのです。

よい例が中国です。

鄧小平が1979年に改革開放路線と取ってから、発展は目覚ましいものになっています。

社会主主義でみんな平等を前提にして政治を運営していれば、中国は1970〜1980年代まで三流国の代名詞だったのです。

ところが、改革開放路線に転換して儲ける自由を認めました。

人々は競って儲けることを楽しみ、結果として豊かな生活を手に入れたのです。

結果が今の中国の躍進になります。

つまり、農民の子に生まれた子はずっと農民ではなく、会社員の道や研究者の道、経営者の道が開かれたことによって、中国はあれだけの発展を遂げたのです。

学校、学びには全く自由がない!

やりたくない勉強をせざるを得ないのは子どもにとって大きなストレス

今の学校教育に、子どもが学びたいことを学ばせる自由はありますか?

自由は認められているけど、親の都合を強く反映して、本当は職人になりたいのに保護者である親の顔色を窺い進学校に行くという子どもが非常に多いでしょう。

職人になりたいのであれば、初等教育で読み書き計算ができれば十分なのに、必要もない高等教育を受けた結果、大人になったときには自分がなりたいものと似て非なる職業についているという人、世の中にたくさんいます。

なぜこうなってしまうのかと言えば、親世代に考える能力がないからです。

とりあえず大学まで進学すればいい?

以下のような計算が成り立ちます。

高校卒業の場合 年収300万円が18歳から65歳まで47年間の生涯賃金になります。

47年×300万円=1.4億円

大学卒業の場合 年収500万円が22歳から65歳まで43年間の生涯賃金です。

43年×500万円=2.1億円

このように考えれば、親は子に苦労をさせたくないのですから、大学まで教育を受けさせてやろうと考えるのが当たり前です。

なぜなら、生涯の賃金は大卒を高卒と比較して1.5倍違うのですから。

大学は出たけれど…

リクルートスーツに身を固め、集団面接を受ける大学生

ところが、現代の社会では高卒と大学卒の賃金格差はないに等しくなっています。

つまり、大学を卒業しても正社員になれない人がほとんどで、契約社員やアルバイトで生活を成り立たせているのが現状なのです。

反対に高卒で正社員になれる人も多数で、給料もよい高卒のほうが生涯に稼ぐ賃金も大卒よりも多くなっているのが現状です。

根本的にエリートは、全人口に対して10%になればよいわけです。

学校の成績で上位10%に入れる見込みがないのに、一生懸命に教育資金をつぎ込む親を見ていると、子どもがかわいそうだと思ってしまいます。

そういう子どもは自分の能力以上のことを常に求められ、疲れていることがほとんどです。

それよりも、本当にやりたいことを探してやったほううがどんなに幸せか、親はわからないのでしょう。

皆がエリートになる必要なんてないのに…

日本のエリートが集う東京大学

現在の大学への進学率40%のなかで、10%のエリートを争っているわけです。

ゆえに上位の大学10%に入れなければ別の道を探すのも選択肢の一つなのに、必死に教育資金をつぎ込み、親から嫌われないために言うことを聞く子どもの姿を見ていると悲しくなってきます。

このような状況になってしまったのは、文科省主導での画一的な教育がそうさせた背景があると考えられます。

社会で最低限必要なことは読み書き計算だけです。

それ以上はその人が仕事に応じて身につければよい話で、本来小学校程度の知識でも社会では十分に活躍できますし、実際に芸能人には中卒の人や、いまだに九九ができない人がいっぱいいるでしょう。

でも、その人たちが私たちよりも確実に稼いでいますよね。

ほかにもあまり裕福でもないのに、いつも幸せそうな人たち、見ていればたくさんいます。

不自由が不幸の連鎖を生む

結局グレタが大西洋をヨットで移動できるのは自由を土台とした裕福さがあるから

まさにグレタさんがその典型で、私たちが現在裕福な暮らしをしているのは自由から成り立っているのに、その自由を否定する言行を称賛する、こんなバカなことばかりに皆さんは賛同しています。

飛行機に皆が乗れなくなったときに私たちがこの裕福な社会を享受できるかといえば、答えは明らかにノーだということに気づかない人ばかりです。

大卒と高卒の生涯賃金も同様な話で、こんなものは20年前は常識でしたが、時代の変化にともない今や大学へ行こうと高卒だろうが変わらなくなっているのに、親たちは子どものことを思い、必死に大学に行かせようとします。

でも、親の期待にも応えたいけど、その能力がないと自覚している子どもが本当にたくさんいるのです。

親は資金をつぎ込んだので今さらやめるわけにもいかないので、お互いの不幸が進行していくというのが現状ではないでしょうか。

あまりにも選択肢が少ない学校教育

今や子どもたちに人気の職業となったユーチューバー

このようになってしまうのはなぜかを考えた場合、教育にはあまりにも選択肢が少ないのです。

日本の子ども全員がユーチューバーになりたいと言っても、それに対する需要がないから皆が食えるわけがありません。

だから親としては、そんな不安定な仕事に就かせないで、有名大学に行けるように教育します。

でも、小学校で読み書き計算を教え、中学校からもう専門教育を行うようにしたら、このような画一的な人間ばかりできないと考えられます。

ユーチューバーになりたい子、ゲームプログラマーやゲーマーになりたい子、スポ―ツ選手やオリンピック選手になりたい子、本当はもっともっと世の中にいろいろな職業になりたい子はたくさんいるのです。

でも、その可能性を学校教育は奪っています。

断ち切らなくてはならない負の連鎖

学校でいじめられ、社会に出てもいじめられ…

カリキュラムをすべてやらないと、国や地方自治体からお金を学校は恵んでもらえません。

学校の管理をするために、役所は予算を盾に学校や教師を屈服させているのです。

予算権がなくなれば、彼らが横柄に振る舞うことはできません。

その既得権益を逃すのを役人が嫌がっています。

本来の学校教育のお客さんは生徒とその保護者であり、そのお客さんにお金を渡せばいいだけです。

文科省や教育委員会にお金を渡しているから、いつまでたっても画一的で役に立つかどうかもわからないような教育が日本の津々浦々で行われ、会社に入れば「アイツ使えねー」といじめられる子ばかりになります。

だって、その子からすればもともと自分がやりたい職業なんかに就いていないのだから、やる気がなくて当然、そして「使えない」と陰口を言われるのもまた当然です。

この連綿と続く間違いをどこかで断ち切らなくてはいけません。

入試改革を行っても…

現在、大学入試改革が急がれているが…

大学入試改革を行っていくら読解能力を上げても、また同じような模範解答を予備校の講師や塾の先生が開発してそれが出回るだけの話です。

それをさも素晴らしいことのように言う文科省の頭の中身はあまりよいとは言えません。

文科省もエリートでしょうが、やっていることはマニュアルの書き換えで、そもそもこの教育制度がすでに破綻していることに気づかず、自分たちの既得権益を守ろうとしているだけです。

なぜ、そのようなことになるかといえば、子どもは自分がやりたい勉強ではないから、マニュアルを教えてくれて手っ取り早く習得する方法に人気が出るのです。

読解能力はユーチューバーだろうがスポーツ選手だろうが、非常に大事なことです。

なぜなら、人の考えを読解しなければお金は稼げないからです。

すべての土台にあるのが読解力

読書は大事!

近年の調査結果は、日本の子どもは科学や数学の成績はよいけれど、国語が全くダメというものでした。

日本語が理解できないのに数学や科学の成績がよいというのは、単にバカを量産しているだけということです。

なぜなら、思考能力の源泉は読解能力です。

物事を考えるときは、言語で難しい数式や科学の証明などを行うのに、その言語能力が劣っているということは、考えることができない子どもばかりになっているのです。

だから17歳のグレタさんの論法に一方的にダマされるのです。

グレタの間違い、学校教育の間違い

著名なオペラ歌手と俳優を両親とし、祖父には映画監督を持つスエーデンの環境活動家グレタ・トゥーンベリ

彼女の言っていることの間違いは、飛行機に乗るなというのは私たち自身の成長や発展を否定する考え方だからです。

自分自身の生活が精神的にも物質的にも豊かになっていく楽しみがあるから、私たちは生きていて楽しいのです。

その否定を主張するのがノーベル平和賞なんて間違っていますし、それにダマされる人はもっと間違っています。

こんなものが支持されるのは、学校教育が間違っているとしか考えられません。

役人の思い通りにさせても、役人の子どものことは必死に考えると思いますが、ほかの子はしょせん役人にとっても教師にとっても他人の子です。

自分が食っていくことが大事になるのは当たり前です。

この解決策

子どもが夢に向かって一生懸命になれる教育制度を!

だったらどうすればいいのか、非常に簡単です。

自分のことを真剣に考える子どもと、その幸せを願う親にお金を渡せばいいのです。

今、文科省が実権を握っている予算の配分権を学校ではなく、生徒やその保護者に渡すようにすれば、多様な教育が生まれ、学校は生徒獲得のために児童や学生をお客様として教育するようになるでしょう。

実際40、50歳になってもやりたいことがわからない大人は非常に多く、これも学校教育の弊害です。

親は子どもの幸せを願うあまりに教育熱心となるのは当然ですが、選択肢がエリートしかないのが今の学校教育です。

だから、親は子どもに自分の価値観を押しつけ、子どもはそれに従う…。

結果40、50という中年になっても自分のやりたいことがわからず、さらに子どもにも自分の歩んだ人生を押しつける、それなりに豊かな人生を歩んでいるのですから。

でも、本当にやりたことではない、物質的には豊かだけど精神は疲弊している世界…。

そんな親を見て、子どもの学力が向上するわけもありません。

読書さえしない人間が…

子どもは親の背中を見て育つ

エリートでありたいならば本を大量に読むのは当たり前なのに、肝心な親は月に一冊も本を読まず、それで子どもに「エリートになったほうがいい」と言っても、どこに信用性があるのかということです。

本を読む作業は非常に面倒くさいものです。

その面倒くさい本を読まずに、もっと面倒くさい勉強を子どもがするのかといえば、するわけがありません。

そのほか料理、洗濯、掃除も面倒くさいものです。

面倒くさいことを苦もなく行うのが人生だと思います。

それができる人とできない人とでは、人生の終着において圧倒的な差がつくことになるでしょう。

今の予算を学校から親に渡したら…

文部科学省の表玄関

今の予算を学校から子どもや親に渡し、それを学校が奪い合うというかたちにしたら学校教育はどうなるでしょうか?

親は我が子の幸せには大いなる関心があり、子どもも自分の選択になるので慎重になります。

今のように親から言われるがままに学校の選択を行わず、自分の意思によって選択するようになるでしょう。

勉強にも前向きになり、皆がユーチューバーやゲーマーになりたいなんてことはなくなるでしょう。

なぜなら、選択肢が自分で選べるのですから。

教育の指導的立場は子どもや親にある

グレタの言っていることやっていることは人間の可能性を大きく縮める

自由こそが人生を豊かにする活力です。

飛行機に乗らないで二酸化炭素を減らそうというのは一見正しい論理に聞こえます。

しかし、学校教育のように選択の幅を狭めた結果、中年、老年になって「自分の人生こんなはずじゃなかったのに」と後悔するのと一緒のことだということもわからない人が多数です。

こんな社会が大きく発展することなどありません。

教育の指導的立場は文科省や役人にあるのではなく、子ども自身やその保護者にあるのに、一番えらいのは文科省というわけのわからない制度になっています。

それが一生懸命、大学入試改革なんてやっても何もよくなりません、間違いなく。

自由と金

自由こそが黄金の未来の扉を開くボタン

今回は金のことを書きませんでしたが、金は役人が作った、金本位制度を離脱して50年近くの月日がたっています。

アメリカが金本位を離脱して自由取引になったとき金は1トロイオンス35ドルでした。

今、1600ドルです。

自由って本当にいいですよね。