宝石の王様のダイヤモンド。有名なダイヤには、数多くの伝説やいわく因縁が付き物。伝説があるからこそ有名になるのかもしれません。ココではその中でも「呪われたダイヤモンド」として名高いホープダイヤモンドについて、採掘の歴史や遍歴、なぜ「ホープ」なのか。また何故「希望」が「呪い」なのかを、他のコンテンツでは余り説明しない現行グレーディング等も踏まえて、興味深くご紹介します。
産出国は?ホープダイヤの起源を知る!

ダイヤモンドの語源はギリシャ語のadamas(アダマス)に由来し、その言葉の意味は「打ち勝ちがたい、征服されざる」というものです。
まさしくダイヤモンドのたぐいまれな硬さを象徴しています。
有名なダイヤの産出国といえば、オーストラリアやロシア、南アフリカなどが挙げられます。
しかし、実はダイヤモンドはその昔は“インドの石”とさえ呼ばれており、紀元前800年には既にお守りとして尊ばれてた事から最初にダイヤと人類が出会ったのもインドとされています。
1725年頃ブラジルで発見されるまでは、6世紀頃からインドは世界最大のダイヤモンド供給国であり、歴史上名高い数々の名石を産出しました。
ホープダイヤモンド(Hope Diamond)もその中のひとつ。
遡れば9世紀にインド南部のデカン高原にあるコーラルという町の川で農夫が発見したのが最初です。
(一説にはキストナ川のゴルコンダ鉱山とも言われています。)
ホープダイヤは濃い青色をした112.5ct(グラムにすると22gですが)もの大きなダイヤモンドで、69.03ctまで削られ、今見られる形状はハリーウィンストンにより僅かにリカットされた45.52ctのクッションモディファイトブリリアントカット(Cushion Modfied Brilliant Cut)となっています。
グレーディング(1988年のGIA基準)で言うと『Fancy Dark Grayish Blue/VS1(元はFlawless)/Polish-Good/Symmetry-Good(元はFair)』となります。
サファイアのコーンフラワーの様な透き通ったブルーとは言い難く少し暗めの印象です。
(※通常のファンシーブルーにはグレイリッシュが付き物ですが、ナチュラルのFancy blueで有名なのは”Heart of Eternity”の27.64ctでしょう。また次の機会にお話しします!)
またブローチやペンダント(犬の首輪にも付けられていた!)など様々なジュエリーにセットされながら現在ではルースの状態にて、ワシントンD.Cのスミソニアン博物館にハリーウィンストンの手により寄贈され保管されています。
写真で見るだけでも、ほうっとため息をつきたくなるような美しさですが、このホープダイヤは「持ち主に不幸を招く」という呪いの石として有名なのです。
時をかけるホープダイヤモンド

呪いの伝説を持つ石に、まるで皮肉ったネーミングだと思われるでしょうが、ホープダイヤはロンドンの大銀行家ホープ氏が所有していたことから、ホープダイヤモンドと呼ばれるようになりました。
最初に見つかったのは、前出の通りインド。
その後の来歴は様々な文献が乱立している為に文献にある無しを問わず信憑性の高いものを並べてみます。
17世紀にインドからヨーロッパにジョンマッキアーが(若しくはジャン=バティスト・ダヴェルニエが購入?盗んで?)持ち帰りルイ14世に売却、69.03ctのハートシェイプにカットしてその後63ctのフレンチカットになり1792年にフランス革命の最中行方不明に。
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そして現在のクッションカットで1812年9月にロンドンのダイヤ商ダニエル・エリアソンが所有した事が行方不明から20年後に現存する文献より確認が出来ます。
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そこから1830年以降のある時から宝石コレクターでもあったヘンリー・フィリップ・ホープが所有。
孫のフランシス・ホープがフィリップの遺産を相続する条件として『ホープダイヤモンド』と名付け、ココで”ホープダイヤモンド”の名称が確立。
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その後ホープの死とホープ家の破産による債務弁済により1902年にロンドンの宝石商アドルフ・ウィルに29,000ポンドで売却され、アメリカのダイヤ商であるサイモン・フランケルに売却。
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1908年にフランケルがパリのソロモン・ハビブに売却したモノの翌年には自身の債務弁済で80,000ドルでパリの宝石商ローズナウが落札。
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1910年に550,000フランでルイ・カルティエ(カルティエ初代の孫)に売却し、弟のピエール・C・カルティエが販売を担当。
翌年ワシントン・ポストのオーナーの息子、エドワード・マクリーンの妻であるエヴァリン・ウォルシュ・マクリーンに売却。
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1947年に夫人の死後、遺言では『20年は売却しない』としたものの同じくして債務弁済の為に1949年ハリー・ウィンストン(Harry Winston創業者)がこれを17万7000ドルで購入。
ウィンストンは展示などはするものの売却はせず、1958年に「アメリカ国民の為に」とスミソニアン自然史博物館に寄贈して現在に至る。
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現在でもホープダイヤモンドは同博物館に展示され、妖しい輝きを放っています。
持ち主を襲った呪いとは?

次に「呪いのダイヤ」と言われた所以である都市伝説を時事的にまとめてみます。
当初インド西北部の農民が発見したホープダイヤは、交戦中だったペルシア軍に強奪され、その際、農民は抵抗したため腕ごと切断され殺される。
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ダイヤを奪った軍の隊長は、ペルシア国王にこのダイヤを献上して喜ばれたが、軍隊長自身はまもなく原因不明の自殺を遂げる。
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17世紀になると、このダイヤはインドのベーガンにある寺院に祀られたラマ・シタという仏像に埋め込まれてあった。フランスの業商人ジャン=バティスト・タヴェルニエが、それをくり抜いて盗み取る。この112.5カラットもある巨大なブルーダイヤモンドをフランスに持ち帰ったタヴェルニエは、1668年にルイ14世に売却した。タヴェルニエは、のちにロシアで野犬に食い殺される。
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ルイ14世は、このダイヤを69.03カラットあまりのハート型にリカットし愛用。その美しさから「フレンチブルー(フランスの青)」と呼ばれる。ところが、王は天然痘で死亡。
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ルイ15世の代では、フランス革命のどさくさに起こった1792年の王室宝物庫襲撃で盗難に遭い、ホープダイヤは行方不明になってしまう。その後ルイ15世の愛人デュ・バリュー夫人や、ルイ16世をはじめ王妃マリー・マントワネットなど次々と断頭台の露と消える
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革命でダイヤはしばらく紛失状態となっていたが、1800年オランダの宝石研磨師ファルスの手に渡った。時期は定かでないが、盗品であることを隠すためホープダイヤは再びリカットされ、現在のクッションカットの形状となる。彼の息子がこのダイヤを勝手に売り飛ばしてしまい、そのショックでファルスは死亡。息子はのちに発狂して自殺。ダイヤを買い取った相手は、喉に肉を詰らせて死んだ。
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イギリスの実業家でありダイヤ商のエリアソンは1812年にダイヤを手に入れるが、乗馬中に馬から振り落とされて死亡。1830年頃、ロンドンで競売に出される。呪いの噂は誰もが知っていたが、ダイヤ自体の価値はもちろんのこと、数々の伝説で有名なことから誰もが手に入れたがった。競り落としたのはヘンリー・フィリップ・ホープ。ロンドンの大銀行家。(1824年にはコレクションとして記録されているとも言われている。)
彼は、ホープダイヤを手に入れたときが人生の絶頂期で、それからは数々の不幸に見舞われ、数年後には破産。失意のうちに死亡した。名家だったホープ家は没落。
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1911年、カルティエの手を経てエドワード・マクリーンが妻の為に入手。彼らは大変な浪費家で知られ、前出の「犬の首輪」は婦人の愛犬のマイクです。マクリーンはアメリカの大新聞社「ワシントン・ポスト」紙の跡取り息子。しかしこのダイヤを入手後、マクリーン夫妻の10歳の息子が交通事故死。夫婦生活は破綻し、マクリーン夫妻は離婚。夫のマクリーンは、一連の出来事で精神に異常をきたし、精神病院で狂死。ダイヤは妻であるエヴァリンの手に渡る。しかし1946年、彼女の娘が睡眠薬を飲み過ぎて死亡。翌年にはエヴァリン自身も肺炎が悪化して死亡。その後オークションに出されたホープダイヤモンドは、その呪いの伝説からなかなか買い手がつかなかったものの、1949年に最後の持ち主であるニューヨーク宝石商ハリー・ウィンストンが買い取る。
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これらは脚色されたり架空の所有者が多く出たりと、その殆どが都市伝説と言われています。
1909年のロンドンタイムスが最初にこのダイヤを取り上げ架空の登場人物を描き上げたり、ホープと離婚した妻が金儲けに作り上げた話で映画化や本の執筆を行ったり、カルティエがマクリーン夫妻に売る際の架空の話だったとか、ハリーウィンストンも嫌気がさして売却した…などなど、書き出したらキリが有りません。
ホープダイヤの呪いはホント?嘘?

恐ろしいほどの不幸の連鎖、まさに呪いのダイヤモンドにふさわしい呪われぶりです。
とはいえ、マリー・アントワネットやマクリーン夫人の悲劇はあるものの、上記の伝説のほとんどが確固たる歴史上の記録は持ちません。
他にも持ち主が狼に喰われた、一族が全員変死した、とあるロシア貴族が愛人を射殺したのち、彼自身もロシア革命党員に射殺された……など、まことしやかな伝説は数多くありますが、出所不明のものがほとんどで実在すら疑わしいのです。
不幸に見舞われたマクリーン夫人も最後までダイヤの呪いを否定し、「ホープダイヤがなくても、人生に起こりえた不運だった」と述懐しているそうです。
最後の持ち主であるハリー・ウィンストンも呪いを信じませんでした。
ホープダイヤを怖がる周囲の人たちに、ダイヤをネタにしたジョークを飛ばしていたほどだったといいます。
その一方で、彼はダイヤを入手後、交通事故に四回遭い、事業に失敗してのちに破産しました。
ホープダイヤをスミソニアン博物館に寄贈したときには、なんと普通郵便小包でダイヤを送りつけたそうです。
その行動に「こんなものと関わるのはもうコリゴリだ!」という感情が垣間見えるのは気のせいでしょうか?
「ダイヤモンドは女性の最高の友だち」

なぜホープダイヤモンドは、呪いの石にされてしまったのでしょう。
近年の研究で、ルイ14世が所有したフレンチブルーとホープダイヤモンドが同一の石であることがフランスの国立自然史博物館より発表されました。
とはいえ、マリー・アントワネットがこのダイヤを身に着けたという記録は残っていません。
更に数々の呪いの伝説は、マクリーン夫人に興味を持ってもらうためのカルティエの嘘だったという話もあります。
それがどんどん話を大きくして世間に広まったのは、豪華な宝石を好き勝手に売り買いする上流階級への、一般大衆のやっかみと好奇心が原因ではないかといわれています。
どちらにしろ、何の罪もないダイヤからすれば、なんとも迷惑な話だったに違いありません。
ただでさえ美しいダイヤモンドが呪いをまとうと、さらに妖しい輝きを放つものなのでしょう。
魅惑的なホープダイヤは、近年になっても人々の心を惹きつけて離しません。
ホープダイヤや、それに似た設定の宝石をモチーフにした小説や映画が、数多く作られました。
『タイタニック』で重要なキーアイテムとなる“碧洋のハート(へきよう)”(ハート・オブ・ジ・オーシャン)のモデルがホープダイヤモンドであることは有名ですね。
「ダイヤモンドは女の最高の友だち」は、映画『紳士は金髪がお好き』の挿入歌のタイトルです。
この映画で主演をつとめたマリリン・モンローは一躍スターダムにのぼりつめました。
さほど宝石に興味がない女性でも、有名宝石店のカウンターで婚約指輪を試着すれば、誰しもウットリしてしまうように、ダイヤモンドの持つ魔力は底しれません。
またルイ14世時代に約半分にリカットされていますので、残りの半分が実は何処かにあるのでは…?とも言われています。ロマンが有りますね。
ホープダイヤモンドのような長い時代を生きた大きな宝石は、格別のものがあるのでしょう。
現に、出演作で本物のホープダイヤを身に着けたとされるマリリン・モンローは、のちに非業の死を遂げています。
これも単なる偶然でしょうか?
呪いの伝説が否定されればされるほど、ダイヤモンドが自ら主張したがっているように思えてなりません。
今は美術品としておとなしく展示されているホープダイヤが、また呪いの牙を剥く日がないとは言い切れないのです。