昨今のように、日本でダイヤモンドが愛されるようになった背景には、文化の変遷や経済の発展が大きく関わっています。
ということで、今回は日本におけるダイヤモンドの「歴史」と「価値」について解説していきます。
明治期
日本にダイヤモンドが本格的に入ってきたのは明治時代のこと。
1891年(明治24年)、今も銀座で高級時計や宝飾品などを扱う、「天賞堂(てんしょうどう)」が日本で初めてダイヤモンドの輸入販売を開始したことが契機となりました。
以来、初代内閣総理大臣となった伊藤 博文(いとう ひろふみ)や、小説家の尾崎 紅葉(おざき こうよう)など、各界の名だたる著名人もこぞって足を運んだそうです。
明治維新を機に西洋文化の波が日本にも押し寄せ、ダイヤモンドやサファイア、ルビーなどの宝石を装飾品として身に付ける習慣が広まりましたが、この時代のダイヤモンドは一部の富裕層によってのみ享受される超高級品でした。
庶民にまで広く浸透はしなかったものの、「時代を先読みして、革新的なものを採り入れる」という天賞堂の「商道先駆」の精神が、日本におけるダイヤモンド普及の大きな節目となったことは間違いありません。
昭和期
大正を経て昭和期に入っても、ダイヤモンドを含む宝石の愛好者は依然、富裕層に限られていましたが、
第二次世界大戦以降、生活習慣の欧米化により、くらしにゆとりが生まれ、ダイヤモンドを購入する人が増えていきました。
一般層にもダイヤモンドが身近な存在として浸透していったのはこの頃のことなんです。
高度経済成長期
高度経済成長期、1970年代に入ると、デビアス社(米国:De Beers)が「婚約指輪は給料の3か月分」というキャッチコピーを掲げた広告戦略を展開します。
当時の芸能人も「給料3か月分の婚約指輪を贈りました」と、記者会見で発表したことが話題となり、世間に広く知れ渡るようになったのです。
こうしてデビアス社の戦略によって、ダイヤモンドリングは「女性の憧れ・永遠の輝き」という不動の地位を確立し、立爪デザインの指輪が一気に人気を博しました。
バブル期
続いて、バブル期です。
1986年から1990年の日本はバブル経済と呼ばれ、好景気の絶頂でした。
ダイヤモンド以外にも、シャネルのデカマトや大振りのイヤリング、ルイヴィトンの巾着バッグなど、ラグジュアリーアイテムが売れに売れた時代。
当時の価格で500万円を超える高級車も飛ぶように売れ「シーマ現象」などのバブル用語も巷で飛び交ったものです。
新婚旅行のハワイで買ったシャネルやヴィトンのバッグの買取依頼は、創業から15年余りが経ちますが、今でもやっぱり多いですね。
それだけ多くの方が手に取った、ということでしょう。
このあたりのアイテムも絶賛、買取強化中ですので、お持ちの方はぜひお声がけください!
さて、本題に戻りまして。
バブル景気の中でダイヤモンドの消費も大きく伸び、宝飾業界はその売上を飛躍的に伸ばしました。
ダイヤモンドを含む貴金属ジュエリーは「豪華さの象徴」とされ、様々なデザインのジュエリーが登場しはじめます。
中でも当時、大流行したのが「テニスブレスレット」です。
アメリカ・フロリダ州出身のプロテニスプレイヤー、クリス・エバート氏(Chris Evert)が、全米オープンの試合中に身に付けていたことがきっかけとなり、全周に小さなダイヤモンドを散りばめたデザインは、カジュアルな服装にも相性が良く、人気を集めました。
当時、日本国内のダイヤモンド市場は3兆円を超え、宝飾市場全体の規模は7兆円とも言われています。
高度経済成長期のジュエリーは今も価値がある?
続いて、高度経済成長期からバブル期に作られたジュエリーの価値について解説していきます。
故人から引き継いだ遺品の中から、ダイヤモンドや宝石を含む貴金属ジュエリーが見つかるケースは珍しくありません。
1970年代から1990年代にかけての高度経済成長期、バブル期に購入された品々は、「大きな中石」と「豊富に使用された地金(じがね)」が特徴で、当時の経済的繁栄を象徴しています。
ダイヤモンドジュエリーを所有することは一種のステイタスであり、1カラットを超える大粒のダイヤモンドも、多くの人々が買い求めました。
これらのジュエリーは、「大きなカラット数」と「堅牢(けんろう)な造り」によって、今日(こんにち)においても高い価値があると断言することができます。
高度経済成長期の評価基準は曖昧?
そんな価値ある当時のジュエリーたちですが、現代の買取シーンにおいて、査定額を左右する大きな問題があるのも、また事実です。
結論から言うと、この時代に作られたダイヤモンドジュエリーを、現代の基準に即して正確に評価するのは難しいんです。
私たち買取業者は、ジュエリーの真値を見極め、適切な価格を提示することが求められます。
しかし、時に古いデザインや、鑑定書の不備などが原因で、これらのダイヤモンドの評価が困難となり、不当に低いグレードでの査定がなされる場合もあるんです。
例え、鑑定書が手元に残っていたとしても、その鑑定書を発行した鑑別機関が、もう存在しないなんてこともあります。
加えて、当時のダイヤモンドは、現在の4C(カラー、クラリティー、カット、カラット)の基準が用いられておらず、カットの基準が確立されていませんでした。
そのため、3Cのみで評価されていたケースが多く、紫外線の光りの下で、どのくらい青色を発するかを示す「蛍光性」の情報も、当時の鑑定書には記載されていないことが一般的です。
つまり、基準がそれほど厳しくなく、牧歌的(ぼっかてき)な鑑定基準であったと言えます。
ダイヤモンドの世界も、現代のように、コンプライアンスが厳しい時代ではなく、ダイヤモンドを持つこと自体に価値を見出していた時代だったのです。
その結果、買取業者はこれらの古い鑑定書があったとしても、鑑定書がなかったとしても、目の前にあるダイヤモンドだけで、現行の厳しい評価基準に即したグレーディングスキルが求められます。
中にはリスクヘッジのために、現行基準よりもさらにグレードを下げ、結果的に査定額を低く設定する場合もあります。
鑑定書がない場合は、この傾向はさらに顕著に、なりがちです。
ダイヤモンドの査定は単純作業ではなく、高度な専門知識と長年の経験が必要なのです。
さらに正確な評価を行うためには、卓越した経験と、市場に精通した能力が必要不可欠と言えるのです。
鑑別を出し直せば現代の価値がわかる?
中には、鑑定書の発行を「自分ではできない」と思われている方が多くいらっしゃいますが、ご自身でダイヤモンドを鑑別機関へ持ち込めば鑑定書(グレーディングレポート)の再発行が可能です。
発行費用はひとつのダイヤモンドにつき5,000円から1万円ほど。
鑑別機関へ依頼する際は、土台(台座)からダイヤモンドを外し、裸石の状態で依頼しなければなりませんので、その点ご注意ください。
手間と費用、時間を考えると、そのダイヤモンドが現在の基準で、どのグレードにあたるかを、しっかりと見極めることが可能な買取業者へ持ち込むことをオススメします。
まとめ
日本においてダイヤモンドが持つ魅力と価値は、明治時代から現代にかけて、文化や経済の発展と共に変遷してきました。
特に、高度経済成長期からバブル期に作られたジュエリーは、その時代の繁栄を今に伝える貴重な象徴です。
リファスタでは、古い鑑定書の有無に関わらず、お客様の宝石の真価を見極め、公正な価格を提示いたします。
世代を超えて受け継がれるジュエリーが「不当に扱われる」なんてことがないためにも、私たちはここにいる(胸に手を当てる)と思っています。
大切なジュエリーに関する疑問やお悩みがありましたら、どんな小さなことでも、リファスタにお声がけください。