目次
- ジャスパー・ジョーンズのアートスタイル
- 表現形式
- 表現ジャンル
- ジャスパー・ジョーンズ作品の特徴と魅力・評価ポイント
- 特徴と魅力
- 評価ポイント
- ジャスパー・ジョーンズのプロフィール
- 「アートとは無縁だった」幼少期
- 「従軍中に日本文化と出会った」青年期・学生時代
- 「代表作FLAGは夢の産物だった」創作初期
- 「オークション価格は天井知らず」創作中期
- 「90代に入っても絵を描かない日はない」創作後期・現在
- ジャスパー・ジョーンズの代表作
- 「FLAG」 絵画
- 「FLAG」 ブロンズ造形
- 「4つの顔のある標的」シリーズ
- ジャスパー・ジョーンズの市場価格・オークション落札情報
- 「FLAG」 36,005,000米ドル
- 「FLAG」 13,056,700米ドル
- 「WHITENUMBERS1959」 7,922,500米ドル
- 「B.1930」 4,400,000米ドル
- ジャスパー・ジョーンズの作品と出会える場所
- 山形県立美術館
- セゾン現代美術館(長野県軽井沢)
- 滋賀県立近代美術館
- ジャスパー・ジョーンズの最新トピックなど
ジャスパー・ジョーンズのアートスタイル
表現形式
- 絵画
- 彫刻(造形)
- 版画
表現ジャンル
- ネオダダ
- ポップアート
ジャスパー・ジョーンズ作品の特徴と魅力・評価ポイント
90歳を超えて今なお現役のアーティスト「ジャスパー・ジョーンズ/Jasper Johns」どのようなアーティストだったのでしょうか?
作品の特徴と魅力をひもといてみました。
特徴と魅力
1940~50年代以降の戦後アメリカ現代美術の巨匠「ジャスパー・ジョーンズ/Jasper Johns」。
作品があのケネディ大統領に贈呈され、アメリカアート界最高の栄誉「国民芸術勲章」の前身となった賞のメダルデザインを担当したことも。
そして90歳を迎えた2020年現在も、ひとたび作品がオークションに出品されれば何十億円単位の値がつく人気アーティストです。
ジャスパー・ジョーンズの作品に登場するのは「誰でも知っている」「ありふれたもの」だけ。
たとえばアメリカ国旗の星条旗
たとえばダーツゲームの同心円状の的が書かれた標的
さらには数字やアルファベットなど
日常生活の中で見慣れた題材ばかりです。
一見すると親しみやすさすら感じてしまいますが、作品を通してジャスパー・ジョーンズが私たちに投げかけてくる要求は、根本的な絵画の見方の変換です。
旗の絵を描きながらその絵は「平面的な物体」であるとするジャスパー・ジョーンズ。
ならば「絵(作品)」と「絵にかかれたものの」の関係は?
そもそも絵でないものとはなんだろう?
と私たちのアート作品へのアプローチそのものを問いただしているのです。
とはいえ当のジャスパー・ジョーンズはほとんど自作品について語ることがなく、その沈黙は観る人の意志にゆだねていると受け止めていいのでしょう。
ジャスパー・ジョーンズの作品から伝わるメッセージ。
それは「あまり難しく考えないで」「絵は絵に過ぎない。ただのモノ」といっているように聞こえるのです。
評価ポイント
よくいわれるようにジャスパー・ジョーンズは
- (一時期傾倒し研究していたらしい)知性が要求されるデュシャンの現代美術
- 戦後に起きたアメリカポップアートという名の一大ムーブメント
この二つの要素を自身の作品に昇華させることに成功したアーティストです。
その方法論のひとつが、星条旗などのアメリカ一般庶民の日常生活にある「ありふれたもの」をモチーフとしたことです。
普遍的なものを題材にした作品は、鑑賞者にモチーフそのものとして見ることを要求します。
そしてさらに絵を「絵画」としてみるのではなく、一つの物体としてみることを提唱しました。
ジャスパー・ジョーンズの作品は星条旗の絵ではなく星条旗そのもの。
そして地図の絵ではなく地図そのもの。
このように作品を「ただみるもの」として存在させ、複雑な解釈は不要であり鑑賞者はただ見るだけでよく、反応を示す必要はないことを示唆しています。
このようなアートを全く新しい形でとらえたジャスパー・ジョーンズの作品は、当時アート界を独占していた抽象表現主義の重苦しい難解さの対極にあるとして熱狂的に迎えられました。
ジャスパー・ジョーンズは当時公私共にパートナーだったラウシェンバーグとともに、ネオダダやポップアートといった表現技法を武器に半ば権威主義とかしていた抽象表現主義に反旗を翻すとまではいかずともささやかな抵抗を示したことになります。
(二人とも声高に自己主張するタイプのアーティストではなかった)
結果として当時アート界を席巻してた、鑑賞者に過剰なまでの難解な解釈を要求する抽象表現主義の呪縛から解放することに成功しました。
本来モダンアート、コンテンポラリーアートが目指していたのは、窮屈で旧弊な価値観から解放するはずの新しい芸術の形だったのですから。
ジャスパー・ジョーンズのプロフィール
「アートとは無縁だった」幼少期
1930年 アメリカ南東部のジョージア州で生まれる。両親の離婚によって祖父母や叔母の手で養育されるなど、不安定な家庭環境で育つ。
アートとは無縁の環境だったが「3歳のときから絵を描くことを止めたことはない」日々を送りアーティストになることを夢見ていた。
「従軍中に日本文化と出会った」青年期・学生時代
1948年 サウスカロライナ大学で学んだあとニューヨークに移住。
パーソンズ・デザイン・スクールに通うが経済的理由のため短期間の通学に終わる。
1951年 朝鮮戦争中に徴兵。日本の仙台に駐留中に日本の芸術と文化への愛情を育んだ。 1953年 除隊されニューヨークに戻りウィンドウディスプレイの仕事に就き、ロバートラウシェンバーグと出会い親密になる。彼との恋愛関係は1961年まで続いた。
同時期にジョンケージやマーサカニンガムとも交流を深める。
「代表作FLAGは夢の産物だった」創作初期
1954年 代表作「FLAG」を創作。
夢に登場した星条旗がインスピレーションとなり、蜜蝋絵具を使って「FLAG」の連作に取り組むように。FLAG以前の作品はほとんど破壊されてしまう。
アート界には好意的に迎えられ、初めての個展で大物ギャラリスト「レオ・キャステリ」やMOMA(ニューヨーク近代美術館)に作品が購入された。
ジャスパー・ジョーンズはデビュー時から有望視されたアーティストだった。
「オークション価格は天井知らず」創作中期
1959年 デュシャン作品を知りレディメイド作品(既製品を素材とした創作スタイル)を積極的に制作。あまりにも単純化された作品が時に批判的な意見に晒されることも。作品はアートコレクターの間で争奪戦となった。
またオークションでの落札価格は世界トップクラスをキープ。
1988年 ヴェネツィアビエンナーレで大賞を受賞
かつての恋人だったラウシェンバーグが同省を手にしたのは1964年のことだった。
「90代に入っても絵を描かない日はない」創作後期・現在
新作発表がない一年はないほど90代に入ってからも活発な創作活動を続けている。
2011年 大統領自由勲章を授与される(徐芳樹に勲章を首にかけたのはオバマ大統領だった)
2018年 高松宮殿下記念世界文化賞受賞
ジャスパー・ジョーンズの代表作
「FLAG」 絵画
カラー、モノクロで星条旗を題材として繰り返し製作された「FLAG」はジャスパー・ジョーンズの代名詞的作品。
1954年24歳の時に描かれた作品はアメリカン・ドリームに触発されたとされる。
そのほか3枚のサイズの違う旗を重ねた「Three Flags」など40作以上の旗の作品が残されている。
またこれらの作品は蜜蝋を素材とした絵具「エンカウスティック」を使って描かれている。
ちなみにエンカウスティックは古代エジプトではミイラをおさめた棺の彩色にも使われ、数千年間色褪せなかったという脅威の画材。
「FLAG」 ブロンズ造形
FLAGには4つのブロンズ製造形作品が存在し、悲喜こもごものエピソード満載のいわくつきの作品となっている。
まず最初に歴史的瞬間が訪れたのはジョン・F・ケネディ大統領への贈呈だった。
さらに20年後にこの作品は「救済の旗」と意味づけされレーガン大統領から12名の移民アーティストへの芸術勲章メダルとして贈呈された。
(翌年国民芸術勲章が設立。メダルデザインは彫刻家のロバート・グラハムが担当)
これらのイベントは有力画商のロビー活動のたまものだったが、その結果オリジナルのブロンズ作品は歴史的価値を持つ作品として価値は高騰。
さらにブロンズの鋳造を請け負った工場主がこっそりもう一つコピーを取っていた事件まで引き起こし、裁判にまで発展する事態となった。
「4つの顔のある標的」シリーズ
ダーツの的の上に並ぶ目を隠された男の顔が4つ並ぶ。
これらは友人や隣人の顔から型を取り作成されたもの。
さらに顔の上には蝶番がつけられた木製の扉が付属している。
個人的な精神葛藤、社会への錨などを内包する作品。
反共産主義的、同性愛嫌悪の傾向が強かった当時、ゲイで左派の傾向があったジャスパー・ジョーンズには生きやすい時代ではなかった。
ジャスパー・ジョーンズの市場価格・オークション落札情報
「FLAG」 36,005,000米ドル
ジャスパー・ジョーンズ24歳で作成した出世作。
2014年11月11日 サザビーズ/ニューヨーク
「FLAG」 13,056,700米ドル
モノクロームの「FLAG」
2018年11月14日 サザビーズ/ニューヨーク
「WHITENUMBERS1959」 7,922,500米ドル
「数字」もジャスパー・ジョーンズが素材として使った記号。
乳白色の顔料でキャンパスに規則的に数字が並ぶ。
1997年11月10日 クリスティーズ/ニューヨーク
「B.1930」 4,400,000米ドル
1991年11月12日 クリスティーズ/ニューヨーク
斜線が走るクロスハッチング(もともとは十字の条痕を残す研磨仕上げ技法を指す)を用いた代表作。
友人から贈られたポストカードのムンクの自画像「Self-Portrait, Between the Clock and the Bed, 1940-1942」に描かれたベッドカバーに着想を得た。
ジャスパー・ジョーンズの作品と出会える場所
山形県立美術館
「USUYUKI」
セゾン現代美術館(長野県軽井沢)
「標的」
滋賀県立近代美術館
「No」
ジャスパー・ジョーンズの最新トピックなど
近年のジャスパー・ジョーンズの話題といえば、2019年に開催された「Usuyuki」展です。
「具体」「もの派」などの日本戦後美術を紹介してきたニューヨークの現代美術ギャラリー「ファーガス・マカフリー」で開催されたことも話題となりました。
同ギャラリーは前年に満を持して青山に東京ギャラリーをオープンしたばかりでした。
「Usuyuki」コレクションは古典歌舞伎「新薄雪物語(薄雪姫と園部左衛門の恋物語を中心に演じられること多し)」にインスピレーションを受けて制作された絵画や版画などのコレクションです。
駐留したこともあるなど日本とは縁が深かったジャスパー・ジョーンズ。
1979年から2004年の長きにわたって製作された背景には、自身の絵画表現と日本の文化や哲学との間に深いつながりが継続したことを感じさせます。
御年90歳、コネチカットの自宅でまだまだ創作活動中とのこと。今後も新作完成の知らせが届きそうです。